2008年 04月 03日
日本海海戦の勝利は江田島の校庭で勝ち取られた
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呉港から高速船で江田島に渡ることにします。
江田島は橋でも繋がっていますが、大回りになるので、船の方が早いのです。
江田島小用港からバスで約10分、海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校(旧海軍兵学校)に到着です。
大正6年(1917年)に建築された大講堂です。
白亜の花崗岩が美しいですネ。
先頭にいるおじさんは、見学者の引率の自衛官OBの方で、テンションの高いガイドをしてくれて面白かったです。(^^)
講堂内部です。90年前のものとは思えない美しさ。
連合軍に接収中は、教会として使用されたそうです。
明治26年(1893)に建築された、幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)です。
東京駅みたいな赤レンガですね。
このレンガはイギリスからの輸入品であり、一つ一つ紙に包まれ運ばれたそうです。
校庭の奥には、戦艦「陸奥」四番砲塔が、その横には駆逐艦「梨」高角砲が置いてあります。
その右手に見えるのは表桟橋であり、ここが学校の表玄関になります。
タイトルは、ワーテルローの戦いでナポレオンを破った、ウェリントン公が述べた「ワーテルローの勝利はイートンの校庭で勝ち取られた」をもじったものです。
1888年(明治21年)に東京築地にあった海軍兵学校が江田島に移転し、合計12,433名の卒業生を輩出しました。当時は旧制第一高等学校(現東京大学)と並び最難関校でした。
戦前は、イギリス海軍兵学校(ダートマス)、アメリカ合衆国海軍兵学校(アナポリス)とともに、世界三大兵学校と呼ばれていました。
しかし、日本の敗戦により、1945年12月1日付けで廃校となりました。
まぁ、今の視点から見れば、無駄なエネルギーを使ったとか、エリート養成機関だったとか批判も出来るかと思いますが、若い頃に勉学に励むことは(社会に出て実践できるかは兎も角として)、決して無駄なことでは無いのだと思います。
実際、兵学校出身者の多くは、戦後はジャンル外の職に就き、政経に活躍されています。
五省
一、至誠に悖(もと)る勿(なか)りしか(誠意に欠けた事はなかったか)
一、言行に恥づる勿りしか(恥ずかしい言動はなかったか)
一、気力に缺くる勿りしか(英気を充分に養い、意気込みは充分だったか)
一、努力に憾(うら)み勿りしか(最善を尽くしたか)
一、不精に亘る勿りしか(むささ・がさつさ・不潔さ・だらし無さ・不粋・格好悪い様はなかったか)
「五省(ごせい)」とは、松下元校長が考案したもので、兵学校の精神を代表するものとして語られることがありますが、一方、リベラリズムと柔軟性を重んじた帝国海軍の風潮になじまないとする意見もありました。
しかし、占領軍のアメリカ海軍が、五省の精神に感銘を受け、英訳文をアナポリス海軍兵学校に掲示したと言われています。
by Cuculus
| 2008-04-03 23:59
| 旅行